

予告通り、今回は『週刊東京』を取り上げてみる。
検索によると「東京新聞」の改題して明治42年8月15日発行とある。
持参した2冊は明治42年11月7日号と明治42年11月28日号である。
東京の京のの字が横線一本多い旧漢字のデザイン文字。
ちなみに京の文字を分解してみると。「小」は高い丘の形、下の「」は人の作りし最高の丘ということらしい。だから高く大きい丘となり、君主の居城つまりミヤコという意味らしい。
さて本題の
週刊東京M421107-49号 週刊東京M421128-52号 刻印


一周年紀念號 記念号の2冊です。すると創刊は明治41年となる。東京新聞の改題は上記と異なることになる。
定価は一部 拾銭 東京新橋 東京社より発刊 毎日曜日発刊
この表紙の神武らしきゑはサインが左隅にあり天羊と読める。
内容だがざっくばらんにに謂うと、ゴシップ記事で花柳界の色恋沙汰を掲載している。
他には実業界の重鎮や陸軍軍人の写真と紹介記事、その下の「是耶非耶」の欄で後藤新平の大国民歌の買上げ談、徳富蘇峰が伊藤博文暗殺後のオフレコがばれた対応、そして黒岩涙香を称賛した今で謂う社説なのだろう。
これを見つけた時に気になった記事があった。「文久年間鎖港談判/欧行記」である。50年前の大紀行文を連続掲載していたのである。文章を写すと「文久三年癸亥十二月佛蘭西其外國々に使節差遣一行の面々左の如し…」といかにも厳めしい言葉に続き、杉浦愛蔵氏(外国奉行支配定影)と後藤次郎太郎氏の写真と記事がある伝々。いいね、後で使節団の本と照らし合わせてみよう。

凄いのは「黒岩某と妾との関係を告白」、現代の写真週刊誌風扱い。
この頃は当然マスコミによる娯楽宣伝など見開きで紹介しているのが、有楽座、新富座、三崎座、東京座等の写真記事です。「形見草四ッ谷怪談」尾上梅幸のお岩が子供を抱き写真で紹介しているが、コワイ。




この新聞(週刊誌)は謎が多く、資料が少ない。検索してもなかなかヒットしないが、もしご存知の方は教えてください。
はたしてこのまま東京新聞となるのか、紆余曲折のことなのです。


九六