九六の匣

さまざま詰めこんだ匣

『奇妙な落款』(10)

『奇妙な落款』(10)


「…、…、」
「………すぅぐわーっ」
人間が目覚めるという事は、浮遊する上下感のない死の淵から抜け出すようなもので、暗い海の中から海面を目指して出たとたんおもいっきり息を吸い込む瞬間ににている。それは解き放たれた充足感というよりは新鮮な空気を補給できずにいた切迫感ともいえるかもしれない。
記憶はないが母体から生を受けたあの泣き声こそが生存への執着する目覚めなのだ。

儂があの地で目覚めたのも、何故かそのような感覚だった。

ただ体が異様に重い、ひとつとして自由が効かなかった。
理由はすぐにも理解できた。なんと首から下は土中に仰向けのまま埋まっていたのだからである。唇と鼻穴以外、顔面には不思議な布のようなものが覆ってあるのだ。

目がみえない、首を振る、指が微妙に動く、足先は無感覚か…
声を唸るように喉から絞り出す、これらが頭の中で緩やかに連動する。
とにかく動かねばならないという思考がはたらく、何度も筋肉の収縮をかさねた末に隙間ができた。これだけでこの状況下では重労働だと知った。

今度は血液が緩やかに循環し始め、思考回路が活性化する。
この状態は自ら望んではいないもので普通に考えると土葬に近いのかもしれない。

気配がする。あの子供だ。何をする気だ。
突然顔面を被ったものが取りはずされた。
「い・いきて・生きてるんだぞ」
眩い光が眼底まで届く。

儂を覗き込んだ子供が微笑んでいる。

暫らく経つと子供は儂を覆った土を取り払っている。やっと体の自由がきくようになった。実際に儂の体を覆った土がそれほどではない量であり、それが不思議なもので土圧と体力が落ちたせいか簡単に抜け出せなかったのだろうと悟る。

よくみてみると、足の腫れはなくなっていた。
ということは何日間かはこの状態だったということになり、この子供は土中に埋めるという何かしらの民間治療で儂を助けたことになる。

ふらつきながら、子供の跡を前のめりで歩いていくと、小走りに蔵の中に消えていった。開けっぱなしの蔵の入口で扉に両手を圧し掛かるようにつき、中を窺ったが暗すぎて何もみえてこない。どうしてものかと横木に腰をかけていると中から行燈の灯のようなものが揺らめいてこちらにやってくる。

「うーうー」妙な声だけが聞えてくる。
「なんだ、入ってこいというのか」
重い尻をなんとかあげて一歩づつ蔵の内部へとあゆんだ。

入ると外部とは違う冷気が首筋にかかってくる。
蔵というものは一旦もぐり込むとその大きさに驚くものだと思い、行燈の灯りの方向へ数歩すすんでは、立ち止まると、灯りは奥の方へと進んでいく。足元も覚束ないのは病み上りだからだが、やけに照明が暗いせいもある。自分の居場所さえ何も見えない闇が周りから這いずってくる気がする。

「おい、いい加減にしてくれよ、体がまだ回復していないんだ」
だが何の返答もないまま灯りが動くのをやめた。

しかしぼんやりとだが、眼が闇に慣れてきたのか周りが見えてきた。


【つづく】九六



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好きなものを自由に書く、読む、観る、描く。そして遊び愉しむ。
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【※】-半世紀分の散らばした気侭綴ゑ-

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