九六の匣

さまざま詰めこんだ匣

『奇妙な落款』(7)

『奇妙な落款』(7)



ガラス戸を開けると客はなく
居酒屋のカウンターの一番奥になだれ込んだ。

「いらっしゃい、風ぇすごいねぇ」
焼き鳥屋の店主は型通り挨拶をするものの二人の来客に怪訝そうな素振りであった。
「ビールをくれっ」
どうも私たちの様子がいつもとは違ってみえたのだろう。コップを差し出しながら
「なにかあったのかい?」
コップを持つ手が震えている。
私は苛(いら)つきながら
「おやじ、包帯かサラシはないかい。この人が転んじゃてぇさ」
「そいつはてぃへんだ、まっとくれ」
事の次第を店には告げるつもりはもうとうないし、この古本屋の男だってのぞまないだろう。

壁際の板は焼き鳥の脂で変色してベトついてくいる。
まったく衛生的とはいえないが先ほどまでの恐怖とまったく違う次元に飛び込んだみたいだ。

「角の街灯が切れちまったから、隣組の班長さんに替えるように言っとくから。
足元を気をつけないとな」と言いながらサラシを差し出した。

「あれっあんたあそこの本屋じぁねぇか」
男の口は重かった。
黙ったまま顔を伏せて私の治療とはいえぬ処置を受け入れている。

「ひとつ聴いていいかい」
「……」
「あの男とあんたの関係は親子じぁないのか」
「…男じぁねぇ、それに親子でもねぇ」
「一体、あいつは…」
私の言葉を閉ざすように呟くように語りだした。
「まず聴け……」次に
ビールをひと口含むと感がきわまったのか
「…嗚呼、何十年ぶりの酒だぁ」
「何十年って、なにか酒は止めていたのか」

つづけて硝子コップの麦汁をイッキに呑み干し唇と喉が潤うと、言葉がではじめた。



これから話す奇妙なことは、彼の言葉で記述することになる。

…そうだな…あれはもう数十年も前になるかな。
もともと民族学に傾斜し、学問に没頭していた時期がずっと続いていてな、
東京の偉い先生の指導もあって、東北地方の言葉や風習・伝説などを調査する事になり、儂も同行することになった。
仕事といえば、いった矢先の部落などで聞き取り調査をし、筆で書取りしてまとまると東京へ手紙で送る。
そんなところだ。

場所はといえば、宮城県を過ぎて岩手県にはいり、沿岸部から虱潰しに調査を開始した。
最初は学芸員もいてかなりの員数だったなぁ。血気盛んだったしなぁ。

ところが一年も過ぎて、ひとり減りふたり減りして最後には儂ひとりになってしまった。まあ家族持ちや病に倒れたものもいたが、給金が少ないのが困りもので、生活もままならなかったんだろうね。

儂は独りになっても山林を抜け、険しき山々を探索して周っていたが、冬が近くなったころでまだ紅葉は終わっていなかったなぁ。
郷からかなりの山奥で夜になり迷ってしまったのだよ。こんなところじゃ山犬か狼にでも出逢ったら大変だと、沢に沿って歩くのを止めて岳に登れば郷灯りも拝めるだろうと、急な斜面を何度も転げながら尾根に向かったんじゃ。

しかし何度目かの挑戦で力果ててしまい、藪の中を落ちてしまった。
折ってはいなかったが捻挫のような痛みがでて、それでも這いずりながら一夜を過ごせる岩窟を探した。火だけはおこせたが寒さを凌ぐにはきついものがあった。

ところがだな、岩窟の奥から妙に微かだが生暖かい風がやってくる。温泉かなにか湧いているのかと思い中に岩壁に寄りかかりながら、狭い裂け目を二十メートルほど潜り込んで…。やっとくぐり終えたら、突然ひらかれた場所におどりでたのだよ。

…お前は、六甲山にある『石の宝殿』というのを知っているか。周囲が岩の壁で真ん中に四角い大磐があるやつだよ。
ただ『石の宝殿』と違うのは、中央に巨大な磐でなくお宮みたいな土蔵があったということなんだ。

当然、自分の眼を疑ったさぁ。
儂は暫く痛さをを忘れ、その蔵と四角く囲まれた岩天井の星々を見ていたのを想い出す。



彼の不思議な話はそれだけでは終わらなかったのだ。


【つづく】九六
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  • 2012/04/09(月) 10:29:43 |
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