九六の匣

さまざま詰めこんだ匣

九六綺譚 改定版『俄雨の鬼』

九六綺譚 改定版『俄雨の鬼』



「そうさねぇ‥鳩渓(きゅうけい)さん」

と口火をきったこの男、御殿医でもござんしてな、ちょいと年下ですが俗にいうところの刎頚の友でありまして、なかなの才のある奴なんでございます。

誘って立話もなんだということで、まずは眞昼間から何か肴に一杯ひっかけましょうやと書上げた浄瑠璃の戯作を片手に ちょいと立寄った茶屋のこと…。

「あっしはね、あんたの鳩渓の鳩(きゅう)の左を戴いて号を九(く)何がしと将来は名乗ろうと思ってやすよ。つまり一字拝領、もしくは偏諱(へんき)ってやつですよ」

おやおやいいのかい、あっしみたいなモノの名をつかって、などと思うが素っ気なく
「勝手につかったらいいやねぇ。そんなモンでよけりゃあ熨斗つけてぇもってきなぁ‥」

「じゃあ、これから九っの幸せって事で、幸をつけて号を九幸(くさち)呼んでくださいなぁ」
「おっと九幸ねぇ、いいんじぁないか がってん承知の助」

ところで、あとで九幸(くさち)とは何かと問いますと、
こんな平和な日本という江戸に住み、色々な人々と長く付合い、まあ程々の銭、飢えもせず、できればぁチョイト名を残し錦を飾り、子をなしてねぇ 日々元気に余生を暮らしたいなぁってことだなんていいやがる。

まったく欲だらけじゃねえのか、煩悩を捨てな-っなんて、ひとの事を言える身分でもねぇか。
でもなんですよ、私を慕い持ち上げてくれる可愛い奴なんですよ。

「田沼の旦那は口ばっかしですねぇ」
「金は渋るが口は出す、世の中そんなもんだよ」
「しかしですよ鳩渓さん、湯島の万物薬品会の見世物屋はけっこうお金が懸かるんでしょうね」
「そりゃあいっちゃーおしめいよ。かかるもなにも出ていく一方さぁ。…それからよぅ佐竹の殿さんが招いて下さるって山師みたいな話もあってね。えーなんだっけ、く・九幸(くさち)さんよ。この浄瑠璃本が売れりゃあ幾らかの足しになるってことだよ」

九幸(くさち)はそれを聴きまして小指と親指を振り回し、
「あれれ、またあの方に貢ぐなんてぇことに‥」
「そりゃあ、俺の甲斐性だ、男好きなのはしかたねぇ 性(さが)なんだよぅ昔から」
「あの歌舞伎役者との仲はどうなるんですかねぇ?」
「金の切れ目が! なんとやらぁってこともあらーな」

暫し噺が弾みまして
九幸はしゃわしゃわと扇子の香を振りまきます。
こんな勝手なことをぬかしていますと、やおら空がかき曇りましてな、
途端にザァーザーとばかりに俄雨ぇ。

「おやおや 降り出しましたね、これじゃあ動きがとれませんよねぇ」
「困ったねぇ、戯作綴りを入れるあぶら紙を携えてこなかったよ」
ふたりが互いに顔を見合わせていますと、

茶屋前の通りから、体ひとつで前裾を押え、我々ふたりのいる格子前の軒下におなごが駆け込んできた。
俄雨にそれほど慌てる様子でももなく
「ちょいと、失礼して暫し軒下をお借りいたしますよ」
とばかりに店の亭主に声をとばす。

-いいねぇ、歳の頃30歳(みそじ)すぎ、女(おなご)の濡れ姿は-

鬼も十八、番茶も出花と申しますが、この歳辺りが膏のってなんとも言えません。

なんとも小粋な身なり、ほれ、どこそこの清元か常磐津のお師匠さんじぁねえのかい。
ほれほれ肩から湯気がたってるじぁありませんか、ちょいとばっかしさぁ雨の滴が浴衣をぬらし肌の白き温もりがほどよく伝わってきます。

ピカッ…!!

雷光が煌き、ごろごろ‥どぉーん っとおちますと、首あたりや襟足のおくり毛が光の中で金色に耀いていたとおもいねぇ。きょうび江戸の鳥居一門の錦絵を思い出してごらんなさいよ、いいもんだねぇ。

一杯ひっかけたふたりが、おなご談議に鶯泊まりてさかせぇ華ぁ‥という具合‥

小粋につんとした鼻筋、楳(梅)の紅さす唇、頬白粉にあの黒子、喉もとから首筋にそっと押さえた手拭(てぬぐい)の指がキュッとしなりましてな、
男というものはそんな些細な仕種に艶気を感じ、よからぬことをしでかすもんでしょうなぁ。

まあ普段なら、ちょっいとした思わせ振りな仕種なんかで男衆の気をそそられる、まあ、どちらにせよ男衆を誘う手練手管でもあることにちげえねえ‥
などと思いつつもみてしまいます。
浴衣にしたり落ちる滴、下駄を片足あげて、小粋に濡れ手拭の艶っぽい事といったらたまりませんでなぁ。

「鳩渓(きゅうけい)さん。いいね、果報は寝て待て、格子冥利につきますなぁ」
九幸(くさち)は扇子をパチリと立てて声まで潜めては向かってにんまりとする。

「ちょいと艶っぽ過ぎやしないかい」

店の主人が我々ふたりとおなごを見渡しながら
「そこの方、軒下じゃあなんだから、戸が開いておりやすよ。中におへんなせぇ」
女はその声が聞えたのか膝を斜めにおり、小首やや傾げては
「ありがとうござます。ここで結構でございます」
ってなことをいいましてな、なかなか奥までへぇてこねんでございます。

すると九幸(くさち)が身を乗り出して
「格子越しとは逆でございやすが、そこなるは破れ店(たな)の軒、滴がかかっておりますよ」

九幸(くさち)とて、難儀をしているおなごが雨の餌食ではと言葉をかけたのだが、
この男はどうも人間の骨格とか肉付きに興味があるらしく…。

それじゃあ九幸(くさち)に恩でも売って加勢しておくかと、
「どうか中に入っておくれでないか、そこじゃ撥ねた雨が浴衣(べべ)にも下駄にもかかりあすよ」

「‥そこまで言って頂けるのなら、ひと雨の間だけお邪魔させていただきます」と
か細い声が どこかがキュットなるんですなぁ。
ついでに九幸(くさち)がもう一押し、
「まあ何にもねえ店(たな)ですがねぇ下駄を脱ぎ拭いて乾かしたらよろしいかと‥」

ここまで言ったらおいおい店の主人(おやじ)がいやな顔をするんじぁねえの。

「九幸(くさち)さん、あんたもなかなかのご気遣いでございますね」
「鳩渓(きゅうけい)さん雨が悪(あ)しですよ、わたしゃあ変な心根はこれっぽっちもありゃしません」

堅物の九幸(くさち)の変わり様に、ちょいとからかい半分、やっかみ半分。

鳩渓(きゅうけい)の言葉に
「私は、怒りますよ‥」っとムッとした顔の九幸(くさち)に、おなごが
「私のことで喧嘩なさっては困りますょ」っと出て行こうとしたが雨は一段と強くなる。

私も大人気ないと
「すまないね、謝りますんで許してくれんかのう、悪気はないのじゃが」
「‥‥」
「雨が止まぬなら傘などお貸ししようが、もう暫く様子をみてはいかがでしょう」
おなごは軽く唇を小さく噤むと紅き口端が愛想笑いにもみえた。



鳩渓(きゅうけい)と九幸(くさち)は雨が音する路をおなご越にみやっていると
「やまぬ雨はないももの、売り子泣かせの雨乃滴ですなぁ」
「まだまだ止みそうにないですなぁ、我々閑人には酒でも貰ってぇ‥」
「いよーっ越後やぁ、お大尽、おい主人(おやじ)升をふたつ、いやみっつもらおうか。それから鰻(うの字)の白焼きもかるく炙っておくれ」

当時の鰻はぶつ切りの串にさして炙り垂れで食していたそうであるが、ここでは鰻をひらき串を打つという今様なものであります。

「ただ酒に鰻かい困った奴だぁ、こんなに陽気な九幸(やつ)をみたことねぇ」
九幸(くさち)は酒には弱く、酒巡りてはややほろ酔い加減 口もまわればくどくなる。

「昔の事はくよくよせずに、先の事も悩まねば、ほど良く飲みて又食べ」
私も続けて
「其の後っ‥、食いつけねぇものは避けてぇ、薬に頼らず、欲に惑わされぬ、とにかく良く遊びて学べっとくる あんたの口癖だね」
「そうそう、七つの戒ってこと‥ヒック」

「ところでそこな方、失礼だが、酔ったついでとはなんだが、お名前を聴いてもよかろうか ヒック」
「‥‥」
「失敬、わし等は怪しいものでないぞぅ、そちらが鳩渓(きゅうけい)先生といって蘭学の大家、拙者が医者の‥今付けたのだが く・九幸(くさち)と申すが…ヒック」

おなごはサッと顔色が変わる。
「鳩渓先生と申されますと、もしかすると平賀の源内さまでございますか」
「おっとと、知っていなさいますか、世の中狭い。じゃあこの酔払いをご存知かな?」
「えー、ただいまご紹介にあずかりましたぁ九幸(くさち)こと、玄白と申す。ヒック」
「私は ウキと申します。まさかこの様な処で御逢いできるとは思いもしませんでした」
「ほう、世は狭い、わしらも顔が売れてきたぞ、のう」
「なにか訳がありそうだが」
「父が所持しております家宝に‥エレキテルなるものがご在まして、さる偉い方より拝領しましたが動かないのでございます」

なんと、エレキテルだと、噺がとたんにおかしな方向へと進んで参りますなぁ

「うーん、エレキテルとは、確か和蘭本で図を見たある気がするがぁ」
「なんじぁ、そのエレキテルテルとは、食べたことはないぞ ヒック」

-玄白は後に腑分け本にて一名をなすのでありますが酔ってはだらしない-

「源内さまに一度診ていただきたく願っておりました」
「私もいろいろ忙しいが、そのエレキテルには気をそそられる。その物は確か徳川さまの所持品ではなかったかと記憶しているがなぁ」
「それはこの口からは申し上げられません」
「まあそんな事は良いとして、ここに私の居場所を書いておくから届けておきなさいなぁ」
懐から和紙と筆を出すと、サラサラと鰻の如く書き連ねてはおなごに手渡した。


とっ、脇を見ると玄白こと九幸(くさち)が眼を丸くしておなごをまじまじとみている。
「どうしたい?九幸さん」
「えっ、そのう、ウキさんとやら、あんたの髪の間に黒いものが二本あるようだがぁ」
私もその異様なものが気にはなっていたが、問うのもおかしいとはばかっていた。

ウキは慌てて手拭を被り、
「簪ですよ」と答えた。

戸口の外の雨はピタリと止んでいる。

「じゃあ、雨も上がったようだし、先生方また御逢いしましょう。源内さま後でエレキテルを診てもらいに伺いますよ、よろしくお願いしますぅ」
ウキというおなごは、しなをつくり軽く会釈すると、我々二人を残して表に駆け出していったのである。

二人とも口をあけたまま浴衣の女を見送って顔を見合わせた。
「見たかい、今のは簪(かんざし)かい? 角(ツノ)じゃねぇのかい」
「ああ、確かに見ましたよ、鳩渓(きゅうけい)さん、黒い艶のある角でした‥」
「もしかして 鬼なんて事はありはしないよなぁ」
「ウキっていいましたね、雨と鬼でウキ(雨鬼)ってことかい」

さてはエレキテルに雷神、雨鬼(うき)とは得てして面白い。

「俄雨に出逢う艶っぽい女は気をつけなくちゃあいけねぇなぁ」
「左様で‥」
改めて源内と玄白はふたりで見合うと大笑いした。



何年かのちエレキテルのおなごは、源内の許に再び現れたという。当然の如く角は無かったのだが、エレキテルを渡すと二度と源内の前には現れなかった。それを直した源内はたちまち江戸中の評判となったという。

ところで、あの鰻屋で勘定がおわり店の主人(あるじ)にあまりにも客が少なかったのを按じて、「本日土用丑の日」と張り紙をださせたとある。何故かその店は江戸の庶民の注目をあびて鰻の売れ行きが上がったのである。又、源内はこの後に号を福内鬼外(ふくうちきがい)としたともあるが‥‥。


了   





九六


※数年前に書いたが久しぶりに手を加え改訂版として掲載することにしました。
いかがでしょうか。九六
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【※】-半世紀分の散らばした気侭綴ゑ-

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