九六の匣

さまざま詰めこんだ匣

『奇妙な落款』(4)

『奇妙な落款』(4)


そう、彼は黒いマントを羽織っていた。先日は帳(とばり)のおちた出逢いだったためか、あまり気にしていなかった。いまここではっきりと彼を横目で視ながら、ぶつからぬよう注意を払い、外まで聞こえそうな唾を喉に押し込みながら、一気に擦り抜け主人がいるだろう盤台に向かおうとした。

が、その時、後方から凄い視線が背中を射抜いた。
-なんだ、なんだ-
この感覚は今まで味わったことがなく、奇怪な悪寒が全身をはしりぬける。両手を硬く握りしめ胸にしまいこんだまま竦(すく)んだのである。

その時間は数秒だったかもしれないが、自分にとって永遠に続く煉獄の責め苦にも似たものだった。
しかし閉ざされた時間が刻まれたのちに、一瞬にして管脈の血が全身に解き放たれた。悩んだあげく首だけを傾(かし)いで振り返ると男の姿はなく、足音だけが遠ざかっていくのを聴いた。

盤台に両手を押し付けて大きく息を吐いた。心の蔵がいまだ高鳴りをやめない。
両足は支えがなければへなへなと崩れてしまったにちがいない。

あの男は一体なんなのだろう、理解できないことが自分におきているのだ。

盤台の陰から唸り声がしている。あの主人が痣だらけで血を流している。
「おい、大丈夫か。何があったんだ」
「ううっ、あ・ん・た・か」
「いま医者に連絡するからな」
「や・やめてくれ、医者などよぶな。余計なことをするなぁ…」
怪我人ともおもえぬ強い力で私をつきとばした。
とにかくアルコールとチンキを家庭薬の赤箱からとりだし晒(さらし)で応急処置をした。

数分後、幾分落ちついたのか頃合いを見計らって
「なんとひどい息子だ、あんたみたいな父親を痛めるなんて」
「……」
言葉にはならなかったが、店主の口元が一瞬だけ歪んだ、それは笑っているようにもとれた。



【つづく】九六




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好きなものを自由に書く、読む、観る、描く。そして遊び愉しむ。
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【※】-半世紀分の散らばした気侭綴ゑ-

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