九六の匣

さまざま詰めこんだ匣

『奇妙な落款』(2)

『奇妙な落款』(2)

空が朱色に染まりポツポツと街灯がともりはじめたのだろう。
豆腐屋の喇叭の音が暗くなりつつある通りを姿は見えぬが音の強弱が闇の訪れを教えている。

店主は乳白色の傘に手を入れると電球を回しながら
「もう、ええじゃろ…。そろそろだなぁ」
まるで怯えるかのように腰を上げて、次に背伸びをした。
私は天井の灯りの薄暗い店の中で眼をこすりつつ読みふけっていたのだ。
「アアーア、あんたもけぇったほうがいいじゃ」
「すみません、つい夢中になってしまって」
「又くるがいい。その本は譲ることができないんじゃわ」
「あ・ありがとうございます。では…」
本を併せて彼の手に返した、その時、表から若い男が下駄の音をさせながら店に入ってきた。
痩せこけた色白いとしのころ30歳前とおもわれる長髪の男が立っていた。
つかつかと私がいる棚と別の通路から、店主の座る盤台の脇からすり抜けるように入っていった。
「お帰りなさいませ」と店主が男にむかってまるで下足番のように深々と頭をさげた。
出て行こうとした私に、首だけ横を向けて聴こえるかどうかの、微かに空気の漏れるような言葉で
「また来たときは儂が声を掛けるまで傍にくるなよ」
なんか半分脅かしのような言葉をなげかけられたのだった。

戸口をでて、黒く染まった町を家路についたのだか
あの本との出逢いのなのか、気持がざわめく。

もうすぐアパートにつく手前に、赤提灯がいやに煤くれた感じでぶら下っている。そんなにいける口ではないが、先ほどの勢いもあってか片手で逆さ暖簾もちあげてみた。戸の下部は擂りガラスで上部はと透明だが焼き鳥とおでんと人間の温もりで水蒸気がでてくもっている。

「ヘェーイいらっしゃい」
六十もすぎたような痘痕の親父が団扇をばたつかせ焼き鳥を回転しながら炙っている。
低い丸椅子に座りながら
「冷や(常温)で」
「あいよ! 酒を一合だね」
一升瓶から直に底のまるで近眼のインテリがつかう眼鏡のような厚みのあるコップに注ぎこんだ。
溢れるように注ぎいれ下の受け皿にもおとした。まるでこれがサービスだというかのようにであった。
「通しは浅漬けだよ、他に注文があったらよんでくれぇ」

並々と注がれた酒コップに、重心を前におとした唇をヒョットコみたいに吸い付く。
そしてゴクリとひとくちだけ呑む。
「ううーん、効くねぇ」舌から喉にゆっくりと胃袋へしみわたっていくのが判る。

やすっぽい板壁には値札が貼られ、鳥の臓物ボンジリの串焼きが眼に入った。
「ボンジリを3本」と天井に向かって言うと
「アイヨ!」とばかりに張りのある答えが返ってきた。

暫くすると香ばしい肉汁の焦げるおとが店内に煙とともにじゅうまんする。
オヤジは出来上がった串焼を皿に盛り、塩を角にのせた。
「春だというのに、花冷えってのか寒いですねぇ」
愛想笑いのなかにひとの良さがうきでている。

私はさっきの古本屋について聴いてみたいと思った。
もうひと口含んで、いかにも他人噺のように
「オヤジさん、ここはながいのかね?」
「へへっ、カカアがなくなって三十年、それからこの店をやってるんでねぇ」
「そう、ところで数軒先の古本屋しってる。今寄ってきたんだけど…」
「本屋…あああの一寸陰気な店ですか」
「そ・その本屋ぁ。あそこはけ昔からあったっけ」
「そういやぁ、俺の御幼少みぎりってぇなんだが、その時からあったような気がするねぇ」
ふざけ笑いでオヤジの口元から抜け落ちた歯のあとが笑える。

塩を微妙にまぶした肉汁が口にひろがる
そんな充足感にひたっていると
「そうだぁ、昔ぃ大地震があってさぁ、ここら一帯全部壊れちまったことがあってさぁ」
「ほう  大地震かぁ」
「あの本屋だけは、シャンとして残っていただよな。あの本屋の店主は驚きもせず盤台にいたんだ」
「そんな昔からあったんですか」
「そういやぁーかわらねぇなぁ、あの店主ぅ」

【つづく】九六


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  • 2012/03/24(土) 09:25:53 |
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